2014年3月25日火曜日

人の痛み、食の話。

落ち込んでる人に対して「世界にはもっと辛い思いをしている人がいるんだから」っていう人いるけど、目の前の人間の辛さを想像できない人に、世界の何がわかるんだろう。


相手の悩みや辛さに対する言葉を出せない事は悪いことじゃないけど、その「自分のできない事」の力の無さ、手に負えない負担に対する苛立ちを悩んでる人のせいにして、ただでさえ辛い人に覆い被せるのはどうかと思う。

同じように、子供が食べ物をの残すことに関しても「食べたくても食べられない人が…」という理屈を子供の脳で理解できるのだろうか?
ちんぷんかんぷんな理論によって、納得もしていなのに強制的に食べたくないものを押し込まれるのは大人だって苦痛のはずだ。
それが理解出来るいうな年齢になれば別の問題に気づくと思う。
この理屈は屁理屈であって理論的じゃない。
なぜ、世界で苦しんでる人がいるのに見栄えのよい野菜ばかりスーパーに並べるの?必要以上に商品を充実させるの?コンビニやファストフード店で破棄を毎日数トン出すの?
牛一頭育てるのに必要な水は1t、肉食をやめる必要はないけど、廃棄の数を減らす努力をすれば、牛の数は減って、その分が飢餓に苦しむ人に回るんじゃないの?ただし、畜産家は死ぬ、このシステムは大人が作って、引き継いでるでしょ?という世界の矛盾を突きつけられた時に子供に返答できないので、「世界には食べたくても…」は使うのは、私は良いとは思えない。
この食べ物を食べると骨が強い体になって仮面ライダーみたいに強くなるよ!
とか、
風邪ひかなくなるよとか、そういう、身近でわかりやすい、自分に対して何がどう起こるかで説得できないのであれば、相手の立場になっているとは言えないと思う。

私は子供の頃から嫌いな食べ物が異常に多くて、ただ、それを嫌いということがとても嫌で、吐き気を我慢しながら出されたものは全て食べるよう心掛けてきました。
親でさえ、私は好き嫌いなく何でも食べると思っていたくらい。
そうこうしてる内に、どんな食べ物でも美味しく食べられる術を身につけ、昔は嫌いだったものでも今は大好物になったりしてます。
が、ここまでやって思うことは…そこまでしなくていい、です。
出されたものを感謝して頂けるのはいい事ですが、人間、嫌いな食べ物くらい普通はありますから…「申し訳ない」と言えばだいたい許してくれます。
あまりに偏食でない限り。
どうしても無理だなってものは無理のままでいいと思う。
一品、二品食べられないで身体に支障がでる事はないけど、受け付けない味覚と精神的ストレスのWパンチで気分悪くなるかもだから、無理してまで食べない方がいいですよ。
やってわかったやり過ぎた努力でしたが、自分の中では楽しいので今後も続けます。
身の周りのものはだいたい食べられるので、昆虫食とか挑戦したいです。
昆虫食の歴史とか文化、メリット、デメリットを身を持って体験したいです。
一番食べたいのは大型の蜘蛛です。胸が踊りますねー。

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