2014年5月28日水曜日

プラチナアート大賞展

プラチナアート大賞展にて入選頂きました。
ありがとうございました!

2014年5月24日土曜日

切り絵は紙切れ。

切り絵 カジタミキ
切り絵って結局ただの紙切れだと思う。何が描かれ切られていてそこにどんな技術があっても紙切れは紙切れ。
絵も物質的には、布や紙についた塗料でしかない。
大事なのは物体としての作品ではなく作品たる核じゃないかと思うのです。
技術や労力、精神論以前の、以上のもの。

何故作品を作っているの、と聞かれる事がありますが、好きなのは勿論大前提だけど、何より執着しているのは「死なない事、死にたくないって事」だと思います。
 死ぬことと生きることは同義で、個を知るは全を知る、全は個を知る事だと思う。
生きることは戦う事で、戦わなければ死ぬことはできない。
死は物質に起こる現象ではないと思う。
私は戦って死にたいし、死にたくないから戦います。多分自分と、色々と。


作品という物体を越えたい。
紙切れで終わらせないためにも。
本当の意味での「作品」に昇華させるためにも。
芸術であり、私はそれを作り出すアーティストという存在に、きちんとなりたい。
ので、作家名にわざわざ「アーティスト」とつけているのです。
これ付けるのはちょっと勇気いりました(笑)
その名に相応しい存在になる為に、という自分の逃げ道無くすためです。


作品という物体を越えること、それは私にはそれは死を越えると同義。肉体の消滅は死ではなく、精神の消滅が死で、私は精神は作品にある。

物質があるから作品なのではなく、物質の有無に関わらず作品である、という作品にしたい。


生死さえ越えるような…私は精神論者ではないし、スピリチュアルは苦手なのでそういう話しをしているのではまなく、ただ、脆弱な物質に頼りたくはないと思う。

それは途方もなく大きな「無」という存在。

私という肉体の存在は全く必要なくて作品が作品たる核さえればいい。
それは作品そのもののかたではないし存在の有無にも左右されないような。

物質って元をたどれば素粒子とかになっちゃうわけで、それってどの物質も同じなんだから、宇宙も地球も人間も、蟻も大した違いはないんだろうし、自分という存在そのものに
も大した意味は無い気がします。
なので個の存在の立証ともよべる自己表現って本当に意味あるのかなーって思うのです。
意味ないっていうか、個という存在の価値が私にはわからない。

自己主張ばかりする自己顕示欲な作品って、胸焼けするんですよねぇ。


切り絵アーティスト カジタミキ

2014年5月21日水曜日

作品愛がっ!

連日作品触れていて思うのは、自分の作品好きってすごい幸せな事だなぁって思います。
自分の人生の時間使って、試行錯誤して生み出すものって命の結晶みたいなものだと私は思います。
自分が大切に育てた存在だから、興味ないわけないし、反省点はもちろん、いつ見ても新鮮で、常に新しい刺激や気付きをくれます。
作品大好きだからこそ、もっともっと見たい、素晴らしくしたいって思うし、自分の拙さを反省して不安にもなります。
次はもっとこうしよう、ああしようとか…。
好きと満足は違うのですよね。

作った後は興味ないという方が悪いとは思わないです。知人にもいますが、その人の作品、私は好きです。
カラッとしていて、突き抜けてる空気があります。
私みたいに執着とか気負いがない分、受け手も必要以上に構えなくてすむのかもですね。

重たい自覚はあります(笑)
ぞれがいいって人もいるし、私も私はそれでいいと思います。
人それぞれでいいんだと思います。
芸術は善悪を決めるものではないので、これが正しい、間違いはないと思います。
あるとするなら偽らない事だけではないかなぁ。
興味ないのに、興味ないって言うと駄目みたいで興味あるふりするって人、こだわりとか恥ずかしいって言って拘らないふりをする方もいましたが、偽ることは1番良くない気がします。体にも心にも。
嘘はいつか無理になる。
身動きつかなくなる。
偽らない事こそ価値があると思います。
それで作品作れなくなりより、自分はこうだからって言ってしまえばいいし、それでいいんだと思います。

私は自分の作品好きで、本当に幸せ。
これで良かったなって思います。
人生で一番時間かけて打ち込むものに興味があって、好きでいれて、好きな事を生き甲斐にできて、追求できて、それを人が好きって言ってくれて、損得抜きで応援してくれて、仕事になってて、好きな事で生きていける、人と繋がれる。
作品に感謝が溢れます。してもしきれないくらい。
本当に子供みたいにも思ってるので、私の所に生まれてきてくれてありがとうって思うし、大切だし、愛しいし、でも、いつかは自分から離れるもの。
だけど、作品の力を信じてるから、どこへ行ってもこの子なら大丈夫、人を幸せにできるって思ってます。
自分を自慢したいとか名声を広げる為の道具ではなく、この子が幸せに出来る人が一人でも増えれば世界の何らかは変わると信じているのです。
そして自分自身のことをもっと知りたくなります。
作品が世界を変えるなら、私は世界と向き合う必要があって、私は世界に対してどう生きて、何を感じ、どうするのか気になります。

自分が今後どんな作品を生むのか楽しみで仕方ないです。
作品が好き、自分に興味あるってやっぱり幸せです。
私の作品の一番のファンは私なのです。
自分で作って自分で幸せになれるっていう心の自給自足。
セルフヒーリング、かもですね。
だから食事も睡眠もつい、無意識に忘れて打ち込んでしまうのですけどねー…。
心に良くて体によくない。
微妙…( ̄▽ ̄;)


2014年5月18日日曜日

作品の名前と説明やめますた。

去年からかかってる作品。
他の作品の方が急ぎだったりで、かなり長いこと制作止めてました。
今月からやっと再開。
もう締め切り間近なので焦っていますがなかなか進みません。
いつ終わるやら。


作品に名前をつけること、説明する事をやめることにしました。

作品を説明するって、自分作品で伝える努力をやめて、人の想像する余地、可能性を奪うって事が起こる場合もあると思います。


今後は過去の作品のタイトルも表示しません。
作品をどう受け取ってもらってもいいし、好きな名前で呼んでもらえればいいです。
自分も作品も他者にも、どこまでも自由な存在で居て欲しいのです。

そもそも、どこをどう工夫したとかこういう事を表現しています、ここが見所ですってのは言ってしまえば工作発表会みたいだなぁって若干思ってました。
小学校の夏休みの工作発表会。
あれは苦痛だった。
説明を求められるけど説明する度に押し付けてないか不安で不安で。
語れば語るだけ違う気がしてから回る。

でも説明は作家であれば当たり前に求められるし、前は出来てこそ作品、作家って思ってました。
いや、それが正しいのかも知れない。
そうあるべきかもしれないけど、他の人にとって正しくても私にとって正しいとは限らない。

言わなきゃ伝わらないなら作品の意味ってなんでしょう?
そしてこれはこういう意味のある物体ですという枠にはめてしまうので、当然、それ以上の創造性を失う気がします。それはとても怖い。
商品説明みたいです。

「表現してみたかったけど表現になってなくて伝えられる力がないので言葉の力をかりて説明します。でも物は作れたので認めて下さい」
って言っちゃってるんじゃないかって気がどんどん強くなってきて、悩んでいたら、とあるTV番組で海外でご活躍の画家さんを知りました。
人に自由に受け取って欲しいので題名付けない、説明しないと言っておられて、ああ、そうしたかったらそれでいいのかと…ストンと肩の力が抜けた気がしました。


説明したくないのは、私を褒めて欲しい訳ではないし、私を理解してほしいからじゃないというのもあります。
作品は自己表現とよく言われますが…自己表現ってそもそもなんでしょうね。

自分をわかって!という意味での自己表現は暴力的な押し付けではないでしょうか。
凄いって言って、認めて!という依存心。
押し付けられると逃げたくなります。

これが自分ですよ!わかってください!と、ドンと目の前に置いて、他者に意味があると思っているってなんだか図々しい話です。

価値あるって押し付けられても困惑する。
考える機会を奪われてしまう。

自分に相当価値があるという自信なのか、自信がないから価値の確認なのか。


「わかってもらうとか興味ない」という思春期なアレじゃなくて、突き放してる訳でもなくて、私の作品を見て私について考えて欲しい訳じゃないんです。

意図的に汲み取ってもらおう、理解してもらおうというのは媚です。
私は私、あるがままに作り、他の人が見るのを助けも邪魔もしたくない。

私は作品を作りますが作品は私のものではありません。
作品をきっかけに観る人に自分なりの感性がうまれれば、それはその人にしか感じられなかったものだから、もうその人にとっての作品であり、私の作品もその時初めて作品として完成する気がします。
見る度に色々と感じる事がかわる事もあるので、有る意味作品は永遠に完成しないとも思います。

私という人間を知って欲しい訳ではないのです。
作品は私の命、魂そのものかも知れませんが、それとこれは全く違う話です。


説明による表面上の理解は楽です。
感性によって感じるのは楽ではありません。
時に苦しいですね。
簡単な答えをあげないというのはとても意地悪でいやらしいかもですね。


そして本当に作品が純粋な自己表現であるならあるだけ、タイトルも説明も不要になっていくのではと考えます。
作品だけが全てを現せるのですから。
作品の力を信じているから余計なものはいらない。
私はシンプルに生きていきたいのです。
作品つくるのがもっと楽しくなります。

題名をつけないこと、説明しない事は私にとって良い選択ですがそれが他の人にとっていいとは限りません。
自分にとってどうか、というのはとても大切だと思います。
他の人がそうだからは関係ないのですよね。
自分の作品、自分の生き方ですから。

2014年5月3日土曜日

切り絵作品 「始」「クジラ」「世界の歌」

切り絵  タイトル  始
モチーフは水とか細胞とかです。

切り絵 クジラ
そのまんま。
これは量産します。

切り絵 タイトル   世界の歌

「クジラ」と同じ絵ですが、大きさが少し違います。
あと枠謎のがあります。
こちらは一点もの。







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