2014年5月24日土曜日

切り絵は紙切れ。

切り絵 カジタミキ
切り絵って結局ただの紙切れだと思う。何が描かれ切られていてそこにどんな技術があっても紙切れは紙切れ。
絵も物質的には、布や紙についた塗料でしかない。
大事なのは物体としての作品ではなく作品たる核じゃないかと思うのです。
技術や労力、精神論以前の、以上のもの。

何故作品を作っているの、と聞かれる事がありますが、好きなのは勿論大前提だけど、何より執着しているのは「死なない事、死にたくないって事」だと思います。
 死ぬことと生きることは同義で、個を知るは全を知る、全は個を知る事だと思う。
生きることは戦う事で、戦わなければ死ぬことはできない。
死は物質に起こる現象ではないと思う。
私は戦って死にたいし、死にたくないから戦います。多分自分と、色々と。


作品という物体を越えたい。
紙切れで終わらせないためにも。
本当の意味での「作品」に昇華させるためにも。
芸術であり、私はそれを作り出すアーティストという存在に、きちんとなりたい。
ので、作家名にわざわざ「アーティスト」とつけているのです。
これ付けるのはちょっと勇気いりました(笑)
その名に相応しい存在になる為に、という自分の逃げ道無くすためです。


作品という物体を越えること、それは私にはそれは死を越えると同義。肉体の消滅は死ではなく、精神の消滅が死で、私は精神は作品にある。

物質があるから作品なのではなく、物質の有無に関わらず作品である、という作品にしたい。


生死さえ越えるような…私は精神論者ではないし、スピリチュアルは苦手なのでそういう話しをしているのではまなく、ただ、脆弱な物質に頼りたくはないと思う。

それは途方もなく大きな「無」という存在。

私という肉体の存在は全く必要なくて作品が作品たる核さえればいい。
それは作品そのもののかたではないし存在の有無にも左右されないような。

物質って元をたどれば素粒子とかになっちゃうわけで、それってどの物質も同じなんだから、宇宙も地球も人間も、蟻も大した違いはないんだろうし、自分という存在そのものに
も大した意味は無い気がします。
なので個の存在の立証ともよべる自己表現って本当に意味あるのかなーって思うのです。
意味ないっていうか、個という存在の価値が私にはわからない。

自己主張ばかりする自己顕示欲な作品って、胸焼けするんですよねぇ。


切り絵アーティスト カジタミキ

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