2014年4月13日日曜日

切り絵について。

なんで切り絵なんですか、という質問を度々頂きます。
私が切り絵を始めたきっかけは2008年に出会った伊勢型紙。
柄はとても綺麗だったっんですけど、古いものなので虫食いだらけで、ボロボロで、それが日の目を見ないのはとても惜しい気がして自分で試行錯誤し、綺麗な用紙に複製してました。
趣味で。
自分が切り絵をやってるとは知らないままそれを続けました。

今、なぜ切り絵なんだろうって思うと、私は今でも「切り絵」を「作っている」という言葉にはしっくりきてないのです。
切り絵を作っているというより、紙の中から命を切り出している、生み出しているという感覚です。
紙を目の前にすると、すでに存在する命のような物?存在?が自分を見てくれ、感じてくれと語りかける様な感覚になって、それをきちんと体現させる為に、いく度となく話しながら、「一番気持ちのいい線」を一緒に見つけていく作業を行います。
それは単に受けてではいけないし、自我だけでも気持ち悪いものです。
双方の望みが合わさってこそだと思っています。
それが下描き、ペン入れです。
お互い納得できたらやっと切れます。
確認試合ながら、「ああ、そうそうそこで出して欲しい」と言われてるような感覚で、切り出していくと、どんどん存在が強くなって、最後の紙を切り離すと、「誕生」になるのです。
すでに紙の中に存在している者なので、どうしよう、何にしようとは考えて作ってはいません。
逆に紙を前にしないと何をしていいか、したいかも分からないのです。
考えるというより感じるという感覚?かな?
ずっと、問答している感覚。
何も考えずぼやっと作ってる訳ではなく、本当にこの線で正しいか、体現できるか、それはとても真剣勝負です。
作品を作るということは生き方であり、死に方です。
どの線も無駄にしたくない。
意味のない線は出さない。
全て、どこをとっても100%。
一は全、全は一、というのが私の座右の銘です。
一線全魂です。

目の前の紙に感じる存在は、自分にとってなんだろうとか、何を伝えたいんだろう、とかとかとか。
作品にするからには責任が出るのでいい加減は出来ません。
自分が伝えたい事を明確化するにせよ、感じるままに制作するにせよ、それは私のメッセ
ージだったり、命そのものなのです。
全部、自分で選んで自分で残すと決めたものです。
誰かに言われた訳でなく、自分でこれをつくろう、生み出そうと決めて取り掛かっている事。
それが形に出来るのはとても嬉しいですね。
作りたいと思ったものが目の前に具現化するって幸せだなと思います。
こういう事を書くとスピリチュアルとか不思議系とかよっっく言われますが、私はどちらでもないです。
オカルトは好きですけどね。



切り絵アーティスト カジタミキFacebook

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