2014年3月29日土曜日

作品名 オルゴール

今回の展示が終わったら額を全部、変えられる物は変えてしまおう。何もかも一度忘れて。
中にはもう変更きかないものもあって、このまま展示し続けるのもあるけど、それ以外は全部。

たかが額の変更、買い換えるだけ、という訳ではないの。
自分が、こういう風に観たいなと思ってた自分を、自分の世界を否定して、殺すような気持ち。
だけど、そこに固執してたら終わってしまうのもわかるから。
自分の世界は良くならないから。

自分を曲げて、信念を消してでも、よりよくする為なら決断しなきゃいけない事なのだと思う。
「今」じゃなくて、もう少し先の為に。
わかってるのよ。わかってるけど、辛くない訳じゃないので。
頭と心は違う。
それでも、超えて進みたいと思える道があるので、私は幸福者だと思う。

2014年3月27日木曜日

雲南市桜祭り告知

雲南市木次の桜祭りにでますー。
出演者の中に実は名前があります。ライトハウスのところで作品参加してます。
主に夜です。
よろしくお願いしますー。

2014年3月25日火曜日

人の痛み、食の話。

落ち込んでる人に対して「世界にはもっと辛い思いをしている人がいるんだから」っていう人いるけど、目の前の人間の辛さを想像できない人に、世界の何がわかるんだろう。


相手の悩みや辛さに対する言葉を出せない事は悪いことじゃないけど、その「自分のできない事」の力の無さ、手に負えない負担に対する苛立ちを悩んでる人のせいにして、ただでさえ辛い人に覆い被せるのはどうかと思う。

同じように、子供が食べ物をの残すことに関しても「食べたくても食べられない人が…」という理屈を子供の脳で理解できるのだろうか?
ちんぷんかんぷんな理論によって、納得もしていなのに強制的に食べたくないものを押し込まれるのは大人だって苦痛のはずだ。
それが理解出来るいうな年齢になれば別の問題に気づくと思う。
この理屈は屁理屈であって理論的じゃない。
なぜ、世界で苦しんでる人がいるのに見栄えのよい野菜ばかりスーパーに並べるの?必要以上に商品を充実させるの?コンビニやファストフード店で破棄を毎日数トン出すの?
牛一頭育てるのに必要な水は1t、肉食をやめる必要はないけど、廃棄の数を減らす努力をすれば、牛の数は減って、その分が飢餓に苦しむ人に回るんじゃないの?ただし、畜産家は死ぬ、このシステムは大人が作って、引き継いでるでしょ?という世界の矛盾を突きつけられた時に子供に返答できないので、「世界には食べたくても…」は使うのは、私は良いとは思えない。
この食べ物を食べると骨が強い体になって仮面ライダーみたいに強くなるよ!
とか、
風邪ひかなくなるよとか、そういう、身近でわかりやすい、自分に対して何がどう起こるかで説得できないのであれば、相手の立場になっているとは言えないと思う。

私は子供の頃から嫌いな食べ物が異常に多くて、ただ、それを嫌いということがとても嫌で、吐き気を我慢しながら出されたものは全て食べるよう心掛けてきました。
親でさえ、私は好き嫌いなく何でも食べると思っていたくらい。
そうこうしてる内に、どんな食べ物でも美味しく食べられる術を身につけ、昔は嫌いだったものでも今は大好物になったりしてます。
が、ここまでやって思うことは…そこまでしなくていい、です。
出されたものを感謝して頂けるのはいい事ですが、人間、嫌いな食べ物くらい普通はありますから…「申し訳ない」と言えばだいたい許してくれます。
あまりに偏食でない限り。
どうしても無理だなってものは無理のままでいいと思う。
一品、二品食べられないで身体に支障がでる事はないけど、受け付けない味覚と精神的ストレスのWパンチで気分悪くなるかもだから、無理してまで食べない方がいいですよ。
やってわかったやり過ぎた努力でしたが、自分の中では楽しいので今後も続けます。
身の周りのものはだいたい食べられるので、昆虫食とか挑戦したいです。
昆虫食の歴史とか文化、メリット、デメリットを身を持って体験したいです。
一番食べたいのは大型の蜘蛛です。胸が踊りますねー。

2014年3月22日土曜日

流水は逆らわずして強い。

昨日は異業種交流会でした。
深夜まで盛り上がって楽しかったです。
そして頭を整理するのにいっぱいいっぱいですwwww

作品にしても、人にしても、他人との距離のとりかたって難しいなと思います。
他人は自分の思い通りにならなくて当然。
それがわからない、受け入れられないというのは、相手との関係性はどうあれ、自分と他人を同一視してると思うのです。
いじめっ子とか、相手がイライラするって理由を持ってたりするけど、それも他人と自分が同一視しちゃってて、距離が取れないという事だと思う。
まず、思い通りにならない、自分の意思が通じないという事の方が当たり前で、通じるっていうのは当たり前でなはなく、すごい事なんですから。
他人に自分を受け入れてもらえる、意志が通るという期待をし過ぎないのは大事ですねぇ。
それが出来ない人は結果的に自立できない依存性の高い人かなと感じます。

作品にしても、自分の想いを入れすぎて「わかって」が強いとどんなに良いメッセージでも打ち消してしまうのじゃないか、と最近思います。
人は「わかって」と言われる事を無意で拒絶するように出来ている、とも思うのです。
好意が少しでもあれば、わかってあげたい気持ちもでますが…。

しかし、多くの作家は自分をどう出すか、他者との差を生むかに悩みます。

自分を出しすぎる事がどう作品に影響し、結果、いいのか悪いのか、私にはまだわかりません。

その点、自然というのは本当にすごいもので、ただ、彼らは彼らとしてあるだけなのに、人はそこに抱かれ、癒され、自己治癒力を高めます。
自然は押し付けない、拒絶しない。
ただ、そこにあり、静かで、荒々しく、大きい存在です。

江戸期の日本画にその様な雰囲気を感じます。
自分の想いは入れる、省かない。けど、決して押し付けない。妥協もない。
ただ、そこにあって、受けてに委ねられる程の自信と強さ、包容力。
卑屈さを感じません。

もちろん、自己主張の強い作品が悪いというのではないです。
現代アートは自己主張の強いものが多く、むしろその強さ故に人はカリスマ性を感じるのだと思います。
劣等感があるからこそ、「自分」を残すことにこだわるのかも知れません。


自分がどうありたいか、どの道を進もうとも間違いではないので、これだと信じられる道を見極めることなのではと思います。
私はまだ、どこにも覚悟を決めて、腰を据える事ができていないです。

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2014年3月20日木曜日

愛の話し⑵

なんか続き書きたくなったので。
この世界に愛がある、と断定はしないけど、無いという断定もしない。
だけど、「メカニズムは勿論理解している。それでもなお、自分のこれは愛だ」と言える冷静さと覚悟がある人の事を、私は愛だと思う。
メカニズムだ、プログラムだと言われた時に怒りを感じる人は、ただ、自分が直視する事を避けて都合良く隠している部分をつつかれて面白くない人なのではないだろか。
人間、本当の事を言われると怒る。
攻撃されたと思い、自己防衛のためにこちらを攻撃してくる人、そういう人は自己愛しかないんだと思う。
私は私の意見が正しいとも、この世界に正解があるとも思わないけど、間違いもないと思う。

人の意見にただ攻撃で返す人は自己愛が強いんだろうなと思っている。
自分の正当性を主張する事は、自分の不当性の可能性を同時に発生させているのだと思うのだけど…ああ、これきりないな。
色々考えたいなー。
考えるの楽しいなー。

頭よくないのバレるけど楽しいな。
超自己満足。

中島義道さんと愛の話し。



中島義道さんの本が面白すぎる。
「生きるのも死ぬのもイヤな君へ」と「人を愛することができない」と、星新一さんの短編集をぐるぐる回して読んでる。
本を一冊づつ読むの苦手で、2、3冊まとめてしか読めない。MAXは5冊とか…。
集中力が無ければ無いほど増える。
集中力欲しいっす。

特に「人を愛することができない」が面白いです。
世間的に男女の「愛」というものがあって当たり前で、ない人を批判する傾向があるけど、脳にとってはただの電気信号、遺伝子のプログラムで、プログラムってのは全て発動する訳ではないので、無くたって当然というか、そもそも不確定要素ばっかで、「ある」事を前提に話すことの方が違和感だったしそれがなんだかキラキラしたイメージで、この世で一番価値があって、素直にそれをあると言えない人は非人道的扱いみたいなのがおかしい、と思ってた。
疑問を持つことさえ変だとされる。
考えそのものが根拠もなく否定されるのって…本当に違和感なんだけど、それについての説明がなされてたりして、この方の本読むと色々勉強になる。

そもそも、「愛」などという固有名詞があるから、あるとか無いとか論じるけど、あっても無くても、人は増えるし、システムはかわんなくて、どうせ続くなら気分いい方がいい、それは全て利己的な遺伝子によるプログラムだけども、「特別感」に酔っ払っといた方がいいってだけなんだろな。
楽しいことはいい事だな。

個人的には、愛というものがあると仮定するならば、条件が発生するものは愛ではないと思う。
何も望まず、与えるのみ。
つまり、究極の愛は死体になって食される事ではないだろうか、と、いうのが最近人とお話ししてて腑に落ちましたよ。

2014年3月18日火曜日

展示のお知らせ。

展示のお知らせです。
3月29日から4月13日まで島根県松江市イングリッシュガーデンにて。
4月5日、6日は切り絵のワークショップも行います。

ワークショップは予約制と当日受付の二種類あります。
お問い合わせは松江市イングリッシュガーデン
0852-36-3030




2014年3月17日月曜日

ブログお引越し、再開のお知らせ。

長らく「ブログ」という存在から遠ざかっていましたが、再開いたしました。
作家名も「空想制作所。」から「KirieArtistカジタミキ」に変更致しました。
カッティングペーパーではなく、一枚の「絵」である切り絵という存在を世界の公用語にしたい!という思いでKirieという表記を使うことにいたしました。

イベントや展示、活動の情報、作品についてなど更新していきますのでよろしくお願い致します。

3月29日から松江市イングリッシュガーデンにて個展開催いたします。

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